新型コロナウイルスが5類へと移行し、マスクの着用も自らの判断に委ねられ、コロナ前の日常生活へと少しづつ戻っている中、ウイルスとは異なる新たな脅威への対策の必要性が高まっている。

「トコジラミ」である。

トコジラミとは動物の血液を栄養源とする吸血性の寄生昆虫で、人間が吸血されると激しいかゆみや発赤等に襲われる。トコジラミの行動範囲は狭いため、人の荷物などに紛れ込み、物の移動によって家や施設などに持ち込まれる。したがって、今年になってトコジラミ被害が増加した大きな要因として、海外からの旅行者が増えトコジラミが国内に持ち込まれていることが考えられる。トコジラミは防除が難しく、繁殖力が凄まじい。日本ではトコジラミについての認識が不足していることに加えて、被害を認識しても隠す傾向がある。そのため、すでに国内でのトコジラミは様々な場所に拡散されていることが考えられ、いつ誰がどこでトコジラミを持ち帰ってもおかしくない状況だろう。

筆者はペストコントロール技術者1級という害虫駆除では最高位クラスの資格も取得しているが、害虫とされる昆虫では特に「シロアリの駆除」を専門としてきた。
例えば病院にも外科、内科と大きく分かれ、そこからまた細かい専門分野に分かれるのと同じように、1つの害虫駆除業者が全ての有害昆虫に対して専門的に適切な対応をできるかというと難しい。
人間にとって害のある昆虫の種も多くあり、害虫駆除業者の得意分野も、日頃から対応をしている虫の種の特性や作業環境によって偏りがある。

しかしながら、インターネットのブログや動画でトコジラミの駆除法を見ていると、手あたり次第に殺虫剤を散布するような依頼者の健康への影響を考えない施工法には同じ殺虫剤を使用している者として危機感を感じる。
我々が建物の床下に薬剤散布するシロアリの駆除でさえ有機リン系統の薬剤は使用していないのに、人が生活をする室内環境で大量の薬剤を散布しているのである。(※床下に薬剤を散布するシロアリの駆除では、過去にはクロルピリホスを中心とする有機リン剤を使用していたが、環境負荷や人体への影響が懸念され、使用禁止となった。)

この有機リン酸系の殺虫剤クロルピリホスは、二〇二〇年一月にEUでも使用が禁止された。 その理由について政府は「遺伝毒性に懸念があること、発達神経毒性に影響が認められ、生殖毒性が懸念されること」と答弁した。衆議院 - 欧米で禁止の農薬に関する質問主意書

戦後、有機リン系農薬は、食料の増産に大きく貢献した。人への毒性の観点から、現在では比較的安全性の高い有機リン剤も使われているが、当然、大量に使用すれば毒性は高まり、人が住む空間であればなおさら健康への影響に注意する必要がある。ある調査論文では有機リン系統の殺虫剤は、脳への影響の可能性が指摘されており、工期の短縮(=収益)という一面だけを優先して、依頼者の安全面を無視した駆除は賛同できない。

トコジラミ被害にあっている人の精神的、身体的な苦痛を想像すると痛ましい。トコジラミが衛生害虫の中でも難防除とされる昆虫であることに加え、海外からの渡航者の増加、温暖化の影響、殺虫剤感受性の低下により、これからトコジラミ被害が日本でも深刻になることが考えられる。

このようなことを思っていると、私自身がトコジラミを駆除しようという考えに至った。

駆除業者の立場で懸念をしていることは、有機リン系統の殺虫剤の大量散布による「健康への影響」と有機リン系統の殺虫剤抵抗性が発達した個体のコロニーが拡散され「国内でさらに駆除が困難となる状況となる」ことである。

現在、トコジラミやネッタイトコジラミに対して使用可能な殺虫剤の有効成分は、速効性のあるピレスロイド系殺虫成分と致死効果の高い有機リン系殺虫成分やカーバメート系殺虫成分と新規殺虫成分であるメタジアミド系殺虫成分の4種類のみである。国内で発生するトコジラミの約9割はピレスロイド剤に対して抵抗性を示すとされている。(數間, 2021)

コナガでは有機リン剤抵抗性系統を薬剤選抜なしで飼育すると,数世代から十数世代で抵抗性レベルが低下することが多数報告されている(園田,2015)。関与している抵抗性の要因によるが,有機リン剤の抵抗性状況は,虫種だけではなく,現場の薬剤の散布状況によっても異なるものと考えられる。(下川床, 2019)

つまり、依頼者の「健康への影響」と国内のトコジラミの「殺虫剤抵抗性の発達」の2つの問題を考えると、
レスケミカル(少量薬剤)でのトコジラミの完全駆除が社会では求められる。

私が以前に受講したペストコントロール技術者を養成するスクーリング授業では、重要な衛生害虫の一つとして、トコジラミの殺虫剤感受性試験の授業が行われたが、トコジラミのコロニーの違いで殺虫剤の感受性が異なることを体験の上で理解した。そして私自身が長年、完全に駆除を行う必要性のある種の昆虫を駆除してきたことから、対象昆虫について深く理解すれば、一般的な被害現場であれば何度かの失敗経験で駆除自体はできるようになるだろうとも考えた。しかし、真の問題は、実際にトコジラミの被害がみられる人が生活をしている環境下で、どの程度の薬剤使用量まで軽減して完全に駆除が可能かという点であった。殺虫剤の使用を軽減するための代替法をどうするか、依頼者の不安をどのようにして払拭していくかも考える必要がある。

これから試行錯誤をして独自にレスケミカルによる駆除法を確立するために必要な失敗、時間、労力を考えると、既にレスケミカルでのトコジラミの完全駆除に成功している業者に学んだ方が、私の地元やこれまでに縁のあった地域の人のためになるのではないかと考えた。

このような経緯から、大阪と兵庫県を中心にレスケミカル(少量の薬剤使用)によるトコジラミの完全駆除「トコジラミ.TM式駆除システム」を行っている有限会社トーメー(以下、トーメー社)のトコジラミ駆除現場へ技術研修に行った。ここに一部を紹介する。

この記事を書いた人

稲葉

福岡県出身・駆除の匠開発チーム
所属:マーケットイン合同会社
資格:ペストコントロール技術者1級・防除作業監督者・しろあり防除施工士

トコジラミ駆除の現場へ

大阪、兵庫県を中心にトコジラミの駆除を行っているトーメー社の駆除現場に同行をさせてもらった。

現場は約3年もの間、トコジラミの被害に悩まされていた家であった。
2階建ての4LDKの戸建住宅であったが、家中にトコジラミの血糞がみられ、
被害状況としては深刻であることに加え、居住者の数も多いことから難易度の高い駆除現場であった。

駆除の痕跡

駆除の痕跡

白い跡はトコジラミの駆除剤、長年依頼者自身で試行錯誤して駆除を試みた跡がみられる。

トコジラミの血糞

トコジラミの血糞

トコジラミの血糞

トコジラミの血糞(襖)

和室に潜むトコジラミ

和室に潜むトコジラミ

シーリングライトの血糞

シーリングライトの血糞

天井のシーリングライトの隙間にもトコジラミの血糞がみられた。

布団の血糞

布団の血糞

布団にはトコジラミの成虫や抜け殻、卵がみられ、上の写真のように生地は血糞で真っ黒になっている状態であった。

畳の血糞

畳の血糞

畳も血糞の跡が激しい。
當銘専務によると、今年の駆除では5番目くらいに被害が大きい現場とのこと。

家具のトコジラミの駆除

家具のトコジラミの駆除

駆除の方法は守秘義務があり、
詳しくここで紹介はできないが、噴霧機械は一切使用していない。ここまでトコジラミの被害が大きいと、駆除業者としては殺虫剤に頼りたくなるだろう。このような被害の著しい現場であっても、トーメー社では薬剤を噴霧する施工は行っていない。

クローゼットのトコジラミ駆除
また、薬剤を使用する場合でも「薬剤の希釈濃度はできるだけ薄くしていて季節によって変えている」とのことであった。(當銘社長)

布団のトコジラミ駆除の防除

トコジラミ駆除は卵が孵化した時期で、再度施工を行う必要があり、完全駆除までに最低でも2回の施工を行う必要がある。
駆除期間中でも「安眠袋」がトコジラミの吸血から依頼者を守ってくれる。

トコジラミの防除ーベッド

駆除の合間にて

当初の防除計画だけでなく、随時メンバー間で被害状況を共有することがトコジラミの駆除では重要だ。

帰社後の道具の洗浄

トコジラミを拡散させないように、帰社後の機材の整備、チェックを欠かさない。

この記事を書いた人

稲葉

福岡県出身・駆除の匠開発チーム
所属:マーケットイン合同会社
資格:ペストコントロール技術者1級・防除作業監督者・しろあり防除施工士

昨今のテレビや新聞等によるトコジラミ被害の報道を見て、新たな営業参入を検討している事業者もいるのではないだろうか。しかしながら、昆虫や殺虫剤の知識がないままでインターネット上でみられる動画を見真似て施工を行うことは、駆除ができないだけでなく、依頼者の健康を害すことや新たな殺虫剤抵抗性を高めた個体が拡散し、国内に深刻な状況を招くことが危惧される。
冒頭に説明をした通り、今、社会ではレスケミカル(少量薬剤)でのトコジラミの完全駆除が求められていると同時にレスケミカルでのトコジラミ駆除の考え方が駆除業者に広がる必要性がある。

トーメー社では、レスケミカルによるトコジラミ完全駆除マニュアル「トコジラミ.TM式駆除システム(商標登録6337155号)」の研修を行っている。害虫駆除業界に限らず、ノウハウを提供してくれるとのことであるから、新規参入を考えている業者や、既にトコジラミを駆除していてレスケミカルへ工法の見直しを考えている業者、トコジラミの駆除に悩まされている業者は問い合わせてみて欲しい。

参考文献
下川床康孝:アセチルコリンエステラーゼ阻害剤(有機リン剤)
數間亨:有機リン剤抵抗性トコジラミ類に対する新規殺虫成分の探索